アジアを拠点に、「自治と独立」を取材し続けた国際ジャーナリストが
市民として、そして市議として
さいたま市のあり方に異議を唱え
いま、変革のために起ち上がった! |
新聞作りに熱中した少年時代
東京・赤羽で生まれ、2歳の時に大宮の県営団地に転入。典型的なサラリーマン家庭で育つ。
小学校では、クラスの「アイデアマン」。マンガを描くのが趣味で、将来の夢はコメディアンというひょうきん者。小学4年生の時、クラスで新聞係になったのを皮切りに、中学校では新聞委員会、高校では新聞部、大学では新聞学会に所属。「おかしい!」と思ったことを伝えることに夢中になり、いつしかジャーナリストを目指すように。 |
九龍城砦で、住民自治の原点を知る
「植民地って、一体どんなところだろう」と、当時イギリス領だった香港へ留学。
家賃の安さに魅かれて住んだのは、「東洋の魔窟」と言われていた九龍城砦で、中国とイギリスとの狭間にあって、いかなる国の法律も及ばない正真正銘の無法地帯。建築や衛生に関する規制がないから環境は劣悪だったが、住民同士の協力で治安は保たれていた。 |
香港を拠点に国際ジャーナリストとして
香港の新聞社に勤務し、新聞記者や雑誌編集長として、1997年の香港返還を挟んで、・自治権の拡大や民主化、「1国2制度」の確立などを報道し続ける。「香港を最もよく知る日本人」として、テレビやラジオにもたびたび出演。
また、アジア各地の地域紛争や独立問題などを取材。『AERA』『SAPlO』などで執筆したり、NHK海外向け放送のレポーターとしても活躍。民族や宗教の対立に目を向けがちな紛争も、多くの場合、背景には「自分たちの地域のことは、自分たちで決めたい」「自分たちの地域の富は、その地域で使いたい」という強い思いがあることを知る。 |
住民不在の合併に憤り、市長選に出馬
10年ぶりに帰国してみたら、故郷・大宮は住民投票も行われないまま、3市合併でさいたま市に。「さいたま新都心への首都機能の移転」をエサに、「平成の大合併」のモデルケースとするための、国策に踊らされた住民不在の合併に憤りを感じて、2001年の市長選に「住民投票で合併解消」を掲げて告示直前に立候補。まったく準備をしないままの市長選出馬で、結果は惨たんたるものだったが、これ以降、さいたま市のあり方に一市民として、異議を唱えることに。 |
住民無視の区名・区割りは許さない!
03年の政令指定都市への移行にあたっての区の設置では、区名投票の結果を無視したネーミングに抗議する署名を集めて議会へ提出し、超党派修正案として審議されるも否決。
区割りをめぐっては、「旧3市をそのまま3つの区に」という住民投票を求める直接請求の署名運動を行ったが、議会で否決される。
住民の声を無視した議会の現状を変えるべく、03年の市議選に立候補するものの、再び落選。 |
議員報酬の大幅アップにハンストで抗議
「政令指定都市になった」というだけの理由で、04年にさいたま市議会は議員報酬を3割、政務調査費は一挙に7割も増額(合計すると4割アップ)。「合併でトクをするのは議員だけか!」と、浦和の市役所前で3日間にわたり、抗議のハンガーストライキを敢行。結局、政務調査費の7割アップは、自民・公明・民主・共産などすべての議員が賛成して可決されたが、さいたま市議会のデタラメぶりは、ハンストによって全国に報道されることに。
市議として、「命がけ」で発言権を獲得
07年の市議選で、「相川市政と全力で勝負だ!」をスローガンに、5027票を得て初当選。会派に属さない無所属議員として活動を始めるが、さいたま市議会では地方自治法を無視して、各政党・会派が本会議での無所属議員の発言を禁止する「申し合わせ事項」を定めていた。
そして、議会で意見を表明すると、演壇から引きずり降ろされたり、出席停止などの処分が繰り返されることに。
そこで議会の現状に抗議して、09年3月に議員をいったん辞職。5月の補欠選挙で「すべての議員が発言できる議会」を掲げ、さいたま市始まって以来の27,045票の記録的得票で復帰当選を果たし、市民の「審判」が下ったことで、本会議での発言権を獲得。
日本で最も積極的に意見を表明する議員
住民の力で得た発言権を活かすべく、議会の審議では「疑問に思ったら必ず追及する」「賛成や反対の理由を表明する」をモットーに活動。「年に1回、登壇するかしないか」という議員が多いなかで、昨年度の本会議での発言回数は断トツの85回に達し、清水市政に警鐘を鳴らし続けている。
1963年(昭和38年)11月3日生まれ。49歳。
若竹幼稚園、東大成小、植竹中、上尾高校卒。
法政大学社会学部応用経済学科卒。
早稲田大学大学院修士(国際関係学専攻)。
PasonaPress(HK)にて、『Hong Kong Post』記者、月刊『香港通信』編集長、日刊『香港ビジネスポスト』編集長を経て、07年からさいたま市議 |
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