2009年3月特別号 (1)
2面へ
大宮住民の力で「すべての議員が発言できる議会を!」
言論圧殺の現状に抗議
議員をいったん辞職しました
相川議案に「意見を述べた」だけで、再び出席停止処分
 私は「無所属議員に本会議での質疑・討論を認めないさいたま市議会に抗議する」ことを理由に、3月19日付で、議員を辞職しました。
 私は市民の皆さんから授かった議員の職を放棄するために辞職するのではありません。私の辞職により、5月24日の市長選と同時に、北区では市議の補欠選挙が行われます。私はその場で改めて、議員の発言権を認めないさいたま市議会の現状の是非を、有権者の皆さんに判断してもらいたいと思います!
 2月議会最終日の3月12日に、相川市長が提出した議案84件への討論と採決が行われましたが、私がそのうち21件に対して反対理由を述べていたところ、相川与党の議員たちが「意見を述べた」ことを理由に、私への懲罰を要求。採決も行わずに、処分検討が決まりました。
 そして本会議で私の「弁明」が行われましたが、私が改めて「浦和優先」の相川予算案に反対する理由を述べたところ、青羽健仁議長が中止を命じたため、私は「無所属議員に本会議での質疑・討論を認めない、さいたま市議会の現状に抗議する」と、その場で辞職願を提出。19日付で辞職が許可されました。

無所属の発言禁止は
17政令市中2市だけ

 議会とは「言論の府」であり、様々な立場の議員による「論戦の場」のはずですが、さいたま市議会では、無所属議員は本会議で発言する権利がありません。
 これは6年前、当時の議会運営委員会(議運)の吉田太委員長の主導の下で、自民・公明・民主・共産などの議員が、地方自治法をまったく無視し、「申し合わせ事項」と称する法的根拠が無い「ルール」を決めたからです。
 私は2年前の市議選で、「浦和優先の行政・予算配分の是正」「大宮の自治と独立」を掲げて初当選して以来、青羽議長や議運の正副委員長の了承の下、請願(討論原稿)提出と動議提出という地方自治法や会議規則で認められた方法を使って、議会で発言を続けてきました。
 その結果、本会議で1年に1回発言するかしないかという議員が多い中で、私はこれまでに50回以上登壇。政党の利害に一切とらわれず、相川市政をストレートに批判することで、「大宮総合病院での小児科オールナイト診療の実現」や「大宮図書館の歴史資料の浦和への移動阻止」など、大小さまざまな実績を上げることができました。

会議規則も改悪して
出席停止期間を延長

 しかし、昨年6月議会では、演壇から暴力的に引きずり降ろされたうえ7日間の出席停止という不当懲罰に処せられました。
 そして今回も、自民・公明・民主など「相川与党」の賛成で、出席停止7日間の懲罰が決められました。もし私が辞職しなければ、6月議会に出席できないことになったのです。
 そして3月12日の議会では、「特定の議員(=私)に対処するため」を理由に、出席停止の最長期間を7日間から1会期へ延長する会議規則の改悪案が、「相川与党」の賛成多数で可決されました。
 議会で意見を述べただけで、次の定例会には丸ごと出席させないという、さいたま市議会の現状を変えるために、私は大宮住民の皆さんとともに闘いたいと思います!

発言権は議員の生命(昨年夏)
演題からの暴力排除 相川議案に反対意見を述べ演壇から暴力排除(左)出席停止に抗議のハンスト(下)
出席停止に抗議のハンスト

  無所属議員の発言権
 認める議会○ 認めない議会×
埼玉県議会………………………○
県内の各市町村議会…………‥○
合併前の大宮・浦和・与野・
岩槻市議会………………………○
全国の政令指定都市(17市)のうち
大阪・名古屋・横浜など15市…○
さいたま市と川崎市…………‥×

「相川市長の議案に反対!」議会で意見を述べるたびに弾圧されました
07年6月定例会 ・相川議案に反対する請願を提出し、会議録に掲載させる。
07年9月定例会 ・委員長報告への質疑や一括採 ・委員長報告への質疑や一括採決への異議で、相川議案への反対意見を表明決への異議で、相川議案への反対意見を表明
07年12月定例会 ・委員長報告への質疑や一括採決への異議で、相川議案への反対意見を表明
08年2月定例会 ・委員長報告への質疑や一括採決への異議で、相川議案への反対意見を表明→自民・公明・民主「相川与党」による多数決で中断。
・動議提出で請願の件名(=討論原稿)を読み上げ、相川議案への反対意見を表明→会議録から削除
08年6月定例会 ・動議提出で請願の件名(=討論原稿)を読み上げ、相川議案への反対意見を表明→議場から暴力排除のうえ出席停止7日間の懲罰 →市役所前で1週間のハンスト(断食抗議)
08年9月定例会 ・動議提出で請願の件名(=討論原稿)を読み上げ、相川議案への反対意見を表明→「相川与党」による多数決で、5分以内の時間制限
08年12月定例会 ・動議提出で請願の件名(=討論原稿)を読み上げ、相川議案への反対意見を表明→議長の独断により、5分以内の時間制限
09年2月定例会 ・動議提出で請願の件名(=討論原稿)を読み上げ、市民からの請願への賛成意見を表明→発言禁止のうえ、議長が議場カち強制退場を命令
・動議提出で請願の件名(=討論原稿)を読み上げ、相川議案への反対意見を表明→「相川与党」の賛成で出席停止7日間の懲罰 →言論圧殺に抗議していったん辞職
 
大宮の声を市議会に
!
すべての議員が発言できる議会を
浦和優先の行政・予算配分の是正/政務調査費と海外視察の廃止
市議会議員補欠選挙(北区)は
 5月24日投票の予定です

市長選挙と同時に実施されます
吉田一郎は、市長から支給される政務調査費(年間408万円)を受け取らずに活動しています。

2009年3月特別号(2)
大宮北部深夜救急
小児科オールナイト診療維持を実現!
2年間追及の結果、3月からは大宮総合病院で
 市は「子育てするなら、さいたま市」をキャッチフレーズにしていますが、24時間いつでも小児科医に診てもらえる救急医療機関の存在は不可欠です。私は2年間、一貫して「オールナイト診療の維持」を要求し続け、大宮医師会市民病院(宮原メディカルセンター)の閉鎖後は、大宮総合病院で、小児科のオールナイト診療を実現させることができました!
 大宮医師会市民病院は、内科と小児科で24時間診療を実施し、長年にわたって大宮住民の命を守ってきた貴重な存在でした。
 しかしさいたま市は、旧浦和市が立てた計画をもとに、浦和との境に市民医療センターを建設し、それと引き換えに大宮医師会市民病院は2月末で閉鎖されてしまいました。
 私は2年前に初当選して以来、議会が開かれるたびにこの問題を取り上げ、「人の命も浦和優先か!」と相川市政を追及。大宮北部でのオールナイト診療の維持を要求し続けてきました。
 その結果、平成20年度予算で「大宮休日夜間急患診療施設」の設置費用として350万円が計上され、大宮医師会市民病院の閉鎖後は、盆栽町の大宮総合病院で夜間診療が始まることになりました。
 しかし昨年9月議会の一般質問で、私が診療時間を問いただしたところ、19時から22時まで(受付は21時30分まで)に過ぎず、従来のオールナイト診療に比べて大幅に縮小されることが明らかになりました。
 自民・公明・民主の「相川与党」の議員たちは、病院移転に賛成したあげく、形だけの夜間診療で「これで安心です」と、相川市長と口を揃えて宣伝していましたが、私はあくまでオールナイト診療の維持を求めて追及を継続。
 12月議会の一般質問では、市が秘かに「大宮休日急患診療所」に名を変えて、夜間診療を外そうとしていた証拠資料を片手に登壇し、「ふざけるな!」と怒りの追及。青羽議長によって議事録から即刻削除される事件も起きました。
 その一方で、私は記者クラブに資料を配布し、1月に新聞各紙がこの問題を報道し始めたことで、相川市政はオールナイト診療の維持に追い込まれ、1月29日に開かれた市と医師会との協議で、小児科の深夜診療の実施について合意。2月25日には、3月から大宮総合病院で朝7晴まで(受付は6時まで)のオールナイト診療の実施が正式決定しました。
 これでとりあえず、夜中に子供の具合が悪くなっても、駆け込める病院が確保できました。
 私は今後、内科のオールナイト診療も復活に向けて、尽力したいと思います!

プラザノース北側に
「病院を誘致」

委員会の追及で 市が初めて明言
 かつて大宮市が、市役所建設など「大宮の新たな中心地に」として購入した富士重工の跡地は、中央部にプラザノースが建てられ、南側は島忠へ売却されましたが、北側は空き地のままです。しかし市は、「富士重工跡地の再開発事業を終了する」と言い出しました。
 そこで私は2月16日のまちづくり委員会で、北側の空き地について「一体何を建てるつもりなのか。市は空き地のまま放り出すつもりか」と追及しました。
 病院誘致の予定地これに対して、都市局の担当者は「空き地は保健福祉局の管轄へ移した」と答えたので、私はすかさず「保健福祉局へ移したということは、病院を建てると理解していいのか」と詰問。
 担当者は「答えられません…」と言葉を濁していましたが、ベテランの松本敏雄議員(大宮区、みどりの風)も加勢して、「そんな答弁が議会で通用するか…」と追及したところ、半日後に、市はようやく「病院誘致の予定地にする」と回答しました。
 プラザノースの北側を「病院用地にする」という噂は以前からありましたが、市が正式に「病院を誘致する」と発表したのは、これが初めてです。
 大宮総合病院を移転・新築するのか、新しい病院を誘致するのか…。病院建設が具体化するまで、私は追及を続けたいと思います。
資料を片手に深夜診療の維持を迫る
資料を手に夜間診療の維持を迫る

個人崇拝の象徴?
あいかわ
「i川マーク」見直しを
市民の声に賛同したら、議場から追放処分
 市内の行政機関や学校などの建物、掲示板や広報物などに描かれている、さいたま市の市章のデザインは、アルファベットの「i」に漢字の「川」、つまり「i川(相川)マーク」ではないかという批判があります。そこで「市民参加の審議会で、市章を制定し直してほしい」という市民からの請願を、私が紹介議員となって議会に提出しました。
さいたま市市章「i川マーク」 市章はその都市の特徴を表したシンボルマークです。
 さいたま市の市章のデザインは、市の説明によれば、「さいたま市のSをモチーフに、未来に向かって人も街も生き生きと前進するイメージ」「市民を暖かく包みながら共に発展していくことや、和が広がり融和していくことを表現した」ということです。
 しかし、7年前の制定当初から、少なからぬ市民の間で「i川マーク」とアダ名されています。
 制定の理由はどうあれ、「個人崇拝」「独裁」「私物化」を連想させるようなデザインが、さいたま市の市章としてふさわしいとは思えません。
 そこで私が紹介議員になり、浦和区の住民が『i川マークと呼ばれる市章の変更を求める請願』を議会へ提出。メンバーの半数以上を市民公募とする審議会を設置して、市章を再検討することを求めました。
 2月4日の本会議では、請願の審議が行われ、私が市章見直しに賛成する意見を述べようとしたところ、青羽健仁議長は再三にわたって妨害を続け、私が「議長!」と声をかけて発言を求めたところ、「不規則発言(=ヤジ)を行った」という理由で、議長から退場を命じられました。
 結局、市章の変更を求める請願は、私を議場から排除したまま、自民党議員が反対意見を述べただけで否決。相川市政への批判の声を、「議員の排除」という民主主義にあるまじき横暴な手段で封じ込めようとする、さいたま市議会の現状は、変えなくてはなりません!

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